シャボン玉
天気の良い日に子どもたちと外で遊ぶ時はよくシャボン玉をして遊びます。
その時についつい口に出るのが童謡の『シャボン玉』です。
しゃぼん玉とんだ
屋根までとんだ
屋根までとんで
こわれて消えた
しゃぼん玉きえた
飛ばずに消えた
うまれてすぐに
こわれて消えた
風風(かぜかぜ)吹くな
しゃぼん玉とばそ
青空にふわふわ浮かぶしゃぼん玉は、七色に光輝く『美しさ』と、あっという間に消えてしまう『儚さ』を私たちに教えてくれます。
私たちがしゃぼん玉や花火を見る時、それが一瞬で消えてしまうものだとわかっているからこそ見逃すまいと、その美しさを目に焼きつけようとします。
しかし、その光景が365日常に続くとどうでしょうか。私たちの頭の中はすぐに、いつでも見れるという「当たり前」の感覚となり、そのものの儚さや美しさを感じる感覚も鈍くなっていきます。
本願寺8代宗主の蓮如上人がお書きになられた御文章(ごぶんしょう)の中の「白骨の章」に
「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり(朝には紅いの血気盛んな顔色であって
も、夕には白骨となる身であります。)」
と、人間の無常の有り様をお示しくださっています。
しゃぼん玉の美しさや儚さを通して、私たちが当たり前にあると思っているこの命が、実は有り難く、不思議な命であることに改めて目を向けていきたいものです。
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