和国の教主 聖徳太子

今年は聖徳太子の1400回忌にあたり、宗派を問わず日本の各仏教寺院で法要が営まれています。親鸞聖人も 「和国の教主」と仰がれた聖徳太子について振り返りたいと思います。

聖徳太子は、一般的に古墳時代と呼ばれる後期、574年に誕生し、推古天皇が即位した後は蘇我馬子らと協力しながら国づくりを進めていきました。
聖徳太子の功績の一つとして、日本文化に仏教を取り入れ、聖徳太子自身も篤く仏法に帰依され仏教を強く勧められました。

604年に定められた 「十七条憲法」 の二条には
「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。(中略)それ三宝に帰せずんば、 何をもってか枉がれるを直くせん。」 
(心から三宝を敬いなさい。三宝とは仏と法理と僧侶のことです。仏教に帰依しないで、何で曲がった心を正すことができようか。)

また十条には、 
「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。 ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ。」 
(我(われ)があやまちをおかさない聖人では必ずしもないし、我があやまちばかりおかす愚者では必ずしもない。 我ひとともに、自己中心的な想念に振り回されている凡夫に過ぎない。) と、私たちはみな共に、心に潜む自己 中心的な考えを持つ迷い深き凡夫であることをお示しくださいました。



聖徳太子は、世の中が乱れる原因はそれぞれの持つ自己中心的な心にあるとし、全てのものが仏法に帰依していくことこそが、心豊かで平和な社会の実現に繋がる唯一の道であることを指し示してくださったのです。

浄土真宗本願寺派 照谷山 西楽寺

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